10月5日にSteve Jobsがこの世を去り、早一週間が過ぎようとしています。
あれから何となく昔を振り返ることが多くなりました。特に彼が暫定CEO(interim CEO; iCEO)になった1997年頃。この頃はアップルにとって大きな変革期となり、様々な変化が起こっていて、ユーザーにとってもいろいろな出来事が思い出されるのです。
当時のiMacデビューは誰にとっても印象的で、まさに”アップル復活の象徴的な出来事”なので、ここで語るまでもないでしょう。今回はその裏の立役者であるCPU、「G3」について焦点を当てて書いてみたいと思います。
iMacの出現は本当に鮮烈な出来事でしたが、多くのMacユーザーにとってはその前に出てきたG3 Macの方がある意味衝撃的でした。
G3出現までのMacではPowerPC 604などプロセッサの名称をそのまま使っていて、マシン名も7500とか8600とかの数字が使われていました。電車の系列のように、6000系、7000系、8000系、9000系と呼んでいました。
しかしジョブズのアップル復帰後、CPUは「PowerPCの第三世代」というところからG3(Generation 3)と命名され、マシンの名前も番号ではなくなり、「PowerMacintosh G3」と変わりました。ちなみにG3はCPUの名前としては「PowerPC 750」といい、これと比べるとユーザーにとって極めて覚えやすい、シンプルな名前になったこいうことになります。G3という名前でなくこっちを採用されていたら、また印象が違っていたかもしれません。
名称が変わっただけなら記憶にそれほど残らないところですが、鮮烈だったのはその格段に上がったCPUのスペックでした。
「こんなに速いMacは見たことない!」
これまで使われてきたどのCPUや高いクロック周波数のマシンよりも、ケタ違いに速い印象だったのです。もちろんデュアルプロセッサよりも。
また、驚くのは速さだけではありません。コストパフォーマンスがこれまた見事でした。
それまでMacで使われてきたCPUであるPowerPCは、601、603、604と変わってきましたが、特にPPC 604はその性能の高さゆえ価格も格段に高く、デザイン会社などでしかなかなか買えないいわゆるプロ仕様。デザイン会社に努めてた僕はPPC 604eのデュアルプロセッサマシン(今や亡きMac互換機akia)を使っていましたが、それは60万円以上もするコンシューマーには届かない雲の上のようなマシンでありました。
G3はPPC 604eのデュアルプロセッサマシンを超えた速さだけでなく、さらにコンシューマー層でも購入できる価格を実現したのです。もちろんクロック周波数の高いものは値段もそれなりでしたが、エントリーモデルとしてのスペックは、従来からは考えられない桁違いのパフォーマンスだったのです。
そして1998年、満を持して登場したiMacは、このハイパフォーマンスのCPUであるG3を積んでいながら178,000円という驚異的な価格で発売され、かわいいその風貌とは裏腹にマシンパワーはプロシューマーに引けを取らないものでありました。
iMacのヒットはそのかわいいデザインがもてはやされた一方で、G3というすばらしくコスパの高いCPUにも助けられたのではないかと思います。
さらに、外見の可愛さだけみてCPUのことを全く知らない人が購入しても、スペックとして決して期待を裏切らないのがiMacの真骨頂。素晴らしいのは外見だけではなかったのです。
それは、Macではエントリーモデルでさえも、プロが利用できるスペックとなった瞬間でした。といってもiMacのようにフロッピードライブがないパソコンは当時本当に珍しく、むしろそれに戸惑った人の方が多かったかもしれません。iMacはそれほどに先を見据えた新しいマシンでした。
僕はと言えばまず最初はPowerMacintosh 8100/80AVをG3化し、それでも飽き足らず純粋なG3マシン(PowerMacintosh G3/DT233)も購入してG3のパワーを楽しみました。
あんなに重かったPhotoshopがすいすい動いたことが特に衝撃だったのをはっきりと覚えています。
印刷用の画像データは、当時のスペックの割に本当に大きかったものです。
G3はCPUアクセラレーター(古いCPUのマシンを新しいCPUにする製品)も様々なサードパーティから発売されたので、NuBusやPCIという拡張スロットに差して、古いMacをG3として使っていた方も多かったかと思います。
MacのCPUは、G3からG4(ベロシティエンジン搭載)、G5、そしてIntel搭載となっていくわけですが、CPUが変わっても代わり映えしなかったアップル前CEOギル・アメリオ時代と比べ、ジョブズ時代はCPUが変わるごとに新しい時代のマシンとしてふさわしいMacになっていたと思います。
今思えば、ハイスペックマシンを一般のコンシューマーでも買えるようになったのは、G3マシンが先駆けだったように思います。iMacでアップルは復活したわけですが、その陰の立役者とも言えるのがこのG3というCPUであると僕は思っています。
ところで当時対抗CPUだったPentium IIのことをカタツムリくらい遅いだの、発熱がすごすぎて焼き焦げる(Toasted)などと散々ケチつけていました。確かにG3は省電力系のPPC 603eがベースのCPUのため、かなり優位であったのには間違いないのでしょうが、その頃のアップルはあからさまに容赦なく競争相手を蹴落とす戦略をとっていました。
しかし結局Macはあんなに蹴散らしていたインテルのCPUに移行したわけですから、シリコンバレーの企業というのは本当に何でもありなんだな、と思ったものです(日本のメーカーなら、やられた側であれば根に持ってきっと採用させないし、逆に採用する側だとしてもそんな案などあっという間に却下でしょう)。
ということで、もうすぐiPhone 4S (for Steve)が登場しますが、もう予約はされましたか。新しいプロセッサA5を積んだこのiPhone 4Sは、iPhoneが発売されて以来過去最高の売り上げを記録しそうな勢いだそうです。
一部の人たちにしか受け入れられなかったMacのスピリットはiPhoneとして形を変えて受け継がれ、ようやく誰もが知る、多くの人に使っていただける製品になりました。
そこに至るまでの長い道のりの中で、G3の登場は最初アップルが復活する上で大きな役割を果たしたCPUだったのではないでしょうか。
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